スマホ死にゲー『Sometimes You Die』で5秒に1回死んで見えてきたもの

インディーゲーム

死にゲーの話をしよう

「死にゲー」と言われてまず思い浮かぶのはどんなゲームだろう?
理不尽なまでに難易度が高いアクションゲームは代表格として、初見殺し満載のRPG、はたまた鬼のような弾幕シューティング、マルチバッドエンド搭載のサウンドノベルにADV、etc、etc……と、「死にゲー」と呼ばれるゲームは多岐に渡って存在する。

具体的なタイトルを挙げてもらうと、聞こえてくるのは『魔界村』に『デモンズソウル』や『ダークソウル』シリーズ、ご存じ『I WANNA BE THE GUY』、E3で新作発表も行ったPlaydeadの『LIMBO』、それから以前取り上げた『VVVVVV』も死にゲーの類だ。
フリーゲームなら『ムーンライトラビリンス』や『Pause Ahead』、デストラップ満載の『魔女の家』あたりも忘れてはいけない(最近だと『生きろ!マンボウ』なんかも死にゲーだったりするのだろうか?)。

そんなこんなで上掲タイトル以外のゲームも見ていくと、ある共通点が浮かび上がる。
1、何度も死ぬほどステージの難易度が高い/敵が強い/初見殺しが多い
2、最終的には死を回避して先へ進むことが目的

この二つがいわゆる「死にゲー」の前提であることはほぼ共通している、と言ってまず間違いないはずだ。

……が、しかし。
2014年3月18日、そんな死にゲーのお約束をひっくり返す死にゲーが登場した。

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10分で100回は死ねる2Dアクション。その名は『Sometimes You Die』。

お前の屍を越えてゆけ

この『Sometimes You Die』、難易度は決して高くない。テクニックはさほど要求されないし、初見殺しもほとんど見当たらない。死ぬ要素もせいぜい床や壁に設置されているトゲと移動する回転ノコギリの二つしかない。

いや、プレイしていればもちろんたくさん死ぬ。
現に筆者はクリアまでの約20分で217回死んでいる。

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およそ5.5秒に1死という有様

では、なぜ「難しくない」のにも関わらず「何度も死ぬ」のか?

お答えしよう。このゲーム、死なないと先に進めないのだ。
これはちょっと言葉では説明しづらいので、以下のスクリーンショットをご覧頂きたい。

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上の画面上、「>」マークの四角がプレイヤーの操作するキューブを表している。
このままでは部屋中がトゲだらけで先に進めない。そこで……

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とりあえず死んでみる。

するとプレイヤーの操作するキューブは即座に復活するが、死んだキューブはそのまま残る。画面上で×印の描かれた四角が死んだキューブだ。
ここがポイント。

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死んだキューブを足場として利用し、次の部屋へ進む。

このように、死ぬ→足場を作る→進む、という一連のサイクルを繰り返し、どこにあるとも知れぬゴールを目指すのが基本的なゲームの流れだ。
また、仮にキューブの配置をミスして先に進めなくなったとしても、左上のボタンをタップすると配置されたキューブと自分の位置がリセットされる。

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死屍累々。

いわゆる死にゲーは「パターンを覚える」あるいは「操作に習熟する」ことで死を回避し、ステージをクリアすることが目的であるケースが大半を占める。
しかし本作はそれを根底からひっくり返して「死なないと先に進めない」というシステムを採用している。タイトルそのままに『Sometimes You Die』というわけだ。
(大抵の場合はSometimes You “have to” Dieだが……)

このゲームでは、死なないことが目的ではない。むしろ積極的に死にたい。

カタルシスの不在、テキストの味わい

「死にゲー」では何度も試行錯誤を行うためストレスが溜まりやすいとされる。もちろんそれは難関を突破した瞬間の喜びと表裏一体だ。だからこそ、そのカタルシスを求めてプレイヤーは何十回何百回とキャラクターの命を散らせてゆく。

が、『Sometimes You Die』にはそのカタルシスが無い

上述の通り、死ぬことが失敗にならないというシステムからして「難関」という概念がほとんど存在しないと言っていいし、ステージの難易度もさほど高くない。死亡回数は一応カウントされているものの、それを減らすことによるリワードもない。

それなら、このゲームをプレイする面白さは、どこにあるのだろう。

私は、“ゲームを進めながら”テキストを読み進めることだと思う。

今までのスクリーンショットから分かる通り、ほぼ全てのステージには背景としてテキストが存在する。そして部屋ごとにテキスト部分の白く表示されている箇所が変化し、男性の声がそれを読み上げる。

「このゲームにおいて、死は役立つ」
「失われた命はただの影、単なる数でしかない」
「あなたは私がルールを変更しないという約束に依存している」

エトセトラ、エトセトラ。このようなテキストが延々と続き、プレイヤーはそれを読み、聞き、先へ進む。ここまで来るとインタラクティブアートに近い。

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「何がこれをゲームだと認めさせるのだろうか?」という問いに続く部屋。なかなかシャレている

このテキストはメタ的な意味の文章が大半を占めており、プレイヤーに対して直接的に問いや見解を投げかけてくる。あなたは何をしているのか? なぜ『Sometimes You Die』をゲームだと思うのか? 逆に「これはゲームではない」と認めるのはどこからか……。

また、ゲームが終盤に差し掛かると、このテキストは「私は」という主語のもと語り始めるのだが、そのテキストがゲーム自体に影響を及ぼしているかのようにさえ感じられるギミックが多数仕組まれている。

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ジャンプしようと思ったら右移動する等、操作がおかしくなる部屋。背景には「私はルールを変えることができる。

ゲームオーバーが無く、スコアは無く、タイムアタックも無く、死亡回数を減らす意味さえほとんど無い。プレイヤーに許されているのは、2Dアクションゲームを進めることによって、ゲーム内に配置されたテキストを読み込み続けることだけだ。

そのようなプレイと無数の死の果てにあるのは、姿の見えない制作者とのテキストを通した対話であり、ひいてはこのゲーム自体との対話なのだ。おそらくは、という留保つきで。

無限のコンティニューと、そこから外れること

先ほど述べたように、『Sometimes You Die』はそのシステムやインタラクティブな媒体としての機能、メタ視点に立つようなテキストを利用して、いくつかの問いを私たちの前に差し出してくる。

例えば——

これはゲームなのか?
私たちはゲームに何を求めるのか?
そもそも「ゲーム」とは何なのか?
どこからが「ゲーム」でどこからが「ゲームではない」のか?
そして私たちは何をゲームだと思いたい/思おうとしているのか?

結局、『Sometimes You Die』は自らが発した問いに答えることはない。エンディングや筆者の見解を示すメッセージはどこにもなく、ゲームは自殺できないスフィンクスのように、謎かけだけを残して押し黙ってしまう。最後のステージは冒頭のステージへと繋がり、プレイヤーがゲームを続ける限り堂々巡りから抜け出すことはない。ゲームそれ自体に対する無限のコンティニューはゲームオーバー不在のシステムときれいに一致し、このゲームのサイクルは完全に閉じる。

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「円環は閉じる」

きっと私たちはこのゲームから離れ、別のゲームに移るべきなのだろう。『Sometimes You Die』はピリオドを欠いた、荒削りで、ナイーブな、しかし真剣なまなざしで問いを差し出してくる、そんなゲームだったと思い返しながら。

[基本情報]
タイトル Sometimes You Die
制作者 Philipp Stollenmayer
クリア時間 およそ20~30分
対応OS iOS(5.1以降)
価格 200円
備考 英語版のみ、レーティング12+

ダウンロードはこちらから

  • 水原由紀(@mizuharayuki

    読みは「みずはらゆき」。ゲーム業界のはしっこに勤めつつ、色々書いてます。思い入れの強いゲームは初代『.hack//』や『風ノ旅ビト』、『Dear Esther』『ゆめにっき』『Ruina 廃都の物語』などなど。2015年マイベストははむすたさんの『ざくざくアクターズ』。美学と工学の交差するゲームを求め、今日も片道切符。Narrative関係勉強中。